−日記帳(N0.1062)2011年06月02日−
米国東部4都市周遊旅行第3日
列車でボストンからNYに移動、NY市内観光(NY泊))
−日記帳(N0.1063) 2011年06月03日−
米国東部4都市周遊旅行第4日
(自由の女神、パーク等見学後メトロポリタン美術館見学(NY泊))


この日乗り込んだボストン駅に停車中のアムトラック列車

この日観光した自由の女神の近景


アメリカでの国内移動は長距離は空路、短距離は車が普通ですが、数百キロ単位の中距離がどちらともつかず問題になっておりました。アメリカには元々国有鉄道が無く私鉄が主体でしたが、空路、車の利用に押されて私鉄の経営は行き詰まり、アメリカから鉄道が消え去ることに危惧を抱いた関係者が日本のJRに相当する全国組織の「アムトラック Amtrak」と呼ばれる鉄道網を1971年に開設しました。

この結果、全米に総延長世界最大の22万5500km(日本は2.7万q)に及ぶ鉄道網が敷かれるに至り、中でもアムトラックは下図に示すように全米主要都市を結び中距離移動に最適として開設当初客足も伸びたのですが、1980年代に航空法の緩和、格安航空の台頭等により再び客足が減り出したものの、9.11で空路利用が危険視されて再び客足が戻り始めたのも束の間、相次ぐ鉄道事故で再び客足が鈍り出し現在に至っております。

アムトラックの鉄道網

それでもアムトラック急ぐ必要の無い旅行者には有難い存在で、旅行社もコスト低減を図りかつ貴重な経験を我々に味あわせるために、ボストン-NY-ワシントンDCを結ぶアムトラックのドル箱路線「Acela」を採用したようでした。その路線は上図の赤線に示すボストン-NY間370キロで東京〜名古屋間とほぼ同じ距離ですが、東海道線の鈍行なみの4時間前後をかけての旅は流石に退屈でした。

アムトラックの車内風景

せめて、車窓からスイス、カナダ、ニュージーランドのように山岳、森、湖沼の自然美が次々と観られるならこころ休まる思いがするのですが、この列車では何の変哲の無い景観でしたので仮眠をとることにしました。ところでアメリカでは乗り物の中でパソコンを使う人が多いこともあって、この座席にも下の写真のように電源タップが有りました。

アムトラックの座席にある電源タップ

私にとって初めてのニューヨークは、下調べしておかないと面喰らうこと必然と思い、以下のとおり下調べしておきましたが殆ど役立ちませんでした。ガイドさんの説明を聞く際に下調べを思い起こす余裕など全く無かったほどにニューヨークは壮大だったわけです。下調べした概要は次の参考資料を参照願います。

参考資料:マンハッタン島について

ニューヨーク市は下図に示すようにマンハッタン島のニューヨーク区、スタテンアイランド島のスタテンアイランド区、ロングアイランド島の東西に分かれるクイーンズ区とブルックリン区、そしてマンハッタン島右側の陸地ブロンクス区の5つの行政区から構成されております。今回の旅行はマンハッタン島のニューヨーク区が主体でしたが、夕食をブルックリン区で摂り、隣のニュージャーシー州のフォートリー市に泊まったことで、ニューヨーク区外を経験しました。

ニューヨーク市の五つの区について

マンハッタン島

マンハッタン島は、上の航空写真から判るようにハドソン川の中州で、東側をハドソン川、西側をイースト川で隔てられております。そして写真からは確認できませんが、東側の対岸のニュージャーシュー州、西側のロングアイランド島と多くの橋やトンネルで結ばれております。マンハッタン島の中央部の長方形の緑の部分がセントラルパークです。

参考資料は以上:

各駅停車の鈍行「アセラ」か1時間遅れて昼過ぎにNYのペンシルバニア駅に到着しました。この駅は1日に600本もの列車が発着している巨大な地下駅で、NBAの試合会場として知られているマジソン・スクエアガーデンと建物を共有しております。この駅を降りて地上に出ると、あのニューヨークの街並みが突然現れて感動です。

ペンシルバニア駅の玄関

ペンシルバニア駅付近の一時駐車可能地域で待機していたバスに乗り込んでニューヨークの市内観光に出掛けました。そのバスが、ペンシルバニア駅の交差点を横切った時に一瞬、目に飛び込んできたエンパイアステートビルをを撮ったのが下の画像です。右側の円形の建物がマジソン・スクエアガーデンです。


この時のバスは、下の航空写真の(2)と表示した位置に在り、この位置からエンパイアステートビルが画面の中央に収まるように撮影しました。また、ペンシルバニア駅の玄関の写真は(1)位置から撮影しております。


尚、下はエンパイアステートビルの展望台からマジソン・スクエアガーデンの方向を望んだ写真で、ウイキペディアから引用させて頂きました。白丸で表示した位置が、私がバスから撮影した位置に相当します。向こうに見えるのはハドソン川で対岸はニュージャーシー州です。

エンパイアステートビルの展望台からハドソン川を望む

こうして我々は、ペンシルバニア駅前を出発したバスで、ソーホー地区、グリニッジビレッジ、五番街、ウォール街、グラウンドゼロ、コロンビア大学の順で市内観光してから、ホテルで夕食(寿司)を摂りました。

車窓から観たブロードウエイ

セントラルパークにあるジョンレノンを悼むイマジン碑

グラウウンドゼロに建設中のワンワールド・トレードセンター

マンハッタンにあるコロンビア大学


ニューヨークに来て心残りだったことがひとつ有りました。それは、宿泊先がニューヨーク(正確にはマンハッタンとして知られるニューヨーク州ニューヨーク区)ではなく隣州のニュージャーシー州・フォートリー市内だったため、五番街などニューヨークの中心街を散策出来なかったことでした。今回のように、限られた期間、予算内で、観光先を増やし行動半径を広げるには宿泊費を減らさざる得なく、フォートリー宿泊はよくあるとのことでした。

ニュージャーシー州・イーストバウンドに在るこのホテルは14階建ての三つ星で同州では2番目に人気の有るホテルでしたので室内設備やスタッフの対応には不満有りませんでした。ただ、フロントに日本語の判るスタッフが居なかったこと、テレビでに、日本語放送は一切なかったのに韓国語や中国語放送は複数あったことには日本の凋落ぶりが感じられ寂しく思いました。

隣州と言っても、このホテルの場所は下の地図に示すように、ジョージワシントンブリッジを経由すれば約30分ほどでマンハッタンの中心街に出ることが出来ますので距離的にはさほど問題は有りませんでした。フォートリー市は1930年代までは映画の都として有名でしたが、現在はアジア系の駐在員や大学関係者の居住者が多くなり、特に韓国人の進出が際立っているようです。

ブルックリン区にはユダヤ系、黒人系、ヒスパニック系、イタリア系の住人が多いとのことも知られ、我々が利用したビフテキ専門レストラン「Giand on the Water」もイタリア系米国人に人気が有るらしく、一族による高校卒業パーティーの一団がこの店に入って行くのを目撃しました。米国では高校卒業パーティーが盛大に行われ、ダンスパーティー形式の場合はプロムと呼ばれております。

フォートリー市のマンハッタンとの位置関係を示す地図

フォートリ市とマンハッタンを結ぶジョージワシントンブリッジ

今朝は、自由の女神の在る小島、リバティーアイランドに渡るべくマンハッタン島最南端のバッテリー公園フェリーボート発着場にホテルから直行しました。快晴で週末とあって現地は下の写真に見られるように乗船を待つ人たちでごった返しておりました。幸い、両手に案内板を掲げて誘導する現地ガイドさん(写真の中央左)の後についていくと、団体予約の優先により人混みを駆け抜けて渡船場にスムーズに行くことが出来ました。

乗船を待つ人たちで混み合うバッテリー公園・フェリーボート発着場

団体予約で優先されてフェリーに乗り込むところ

自由の女神像内への入場は2001年の9.11事件以来中止されておりましたが、2009年の独立記念日7月4日より台座展望台までの入場が再開され当日も予約すれば入場できました。しかし、1日240人限定、パスポートと料金支払い時に使用されたクレジットカードの提示、354段を登り切る体力等厳しい条件が課せられているため一般ツアーでの実現は難しく、今回は女神像の周囲を巡って色々な角度から女神像を観ることに留まりました。

ニューヨーク湾には下図に示すように北から、かって移民局があり現在は博物館が有るエリス島、自由の女神像があるリバティー島、かって軍事施設があったガバナー島が点在しております。リバティー島にはニューヨーク、ニュージャーシーから毎日フェリーが運行されておりますが、これといった観光施設の無いガバナー島には期間限定でニューヨーク側から運行されております。

ここで奇妙に思うことが有ります。ニューヨーク州とニュージャーシー州の州境はハドソン川の中央線となっておりますので、その中央線をニューヨーク湾に延長すると、上の3島のうち少なくともエリス、リバティー2島はニュージャーシー州に属するはずです。しかし何故か延長線は、左頁上の「ニューヨーク州の5区について」で明らかなようにハドソン河口から先に急にニュージャーシー州に偏って2島がニューヨーク州に属するように区画されているのが奇妙に思えるのです。

但し、リバティー島は現在連邦政府直轄領ですので「ニューヨークの自由の女神」は正確な表現でなく「ニューヨーク湾の自由の女神」または「米国の自由の女神」と言うべきでしょう。また、ガバナー島はかっては連邦政府直轄領でしたが後にニューヨーク州に僅か1ドルで売られております。リバティー島には下図に示すように、バッテリー公園から海路約3km、時間にして15分程度ですが全てエリス島にも寄港します。

バッテリー公園とリバティー島

リバティー島の航空写真


リバティー島入港時に観た自由の女神像


リバティー島に到着した時の風景

真横から観た自由の女神像

後ろから観た自由の女神像

真正面から観た自由の女神像


帰りの便は、北側にあるエリス島に寄港してからバッテリー公園に帰港しました。夏休みを利用してエリス島の移民博物館を訪ねる親子連れの観光客が多いためエリス島を出ると観光客は半数以下になっていました。この動画は、このYou Tube動画はエリス島に帰港する際のニューヨーク湾の風景です。

自由の女神観光を終え、再びバスでバッテリー公園の近い東側に位置するサウスストリートシーポートに行って昼食を摂ってからショッピングを楽しみました。この港は、19世紀にニューヨークのメインポートとして繁栄していたのですが20世紀に入り、飛行機が交通手段の主力になるにしたがって寂れたため1968年から再開発計画が始まり現在に至っております。イーストリバー沿いに見えるブルックリン橋、建ち並ぶビル群、停泊している船舶が見える風景はここでだけ見られる素敵な風景と思いました。

1911年に建造されたPeking号の黒い船体

イーストリバーから望むブルックリン橋

高層ビル群の中に見えるエンパイアステートビル

高層ビル群とクラシックな帆船の対比が素敵な風景


そして、いよいよ待望のメトロポリタン美術館の見学です。フランスのルーブル、ロシアのエルミタ−ジュとともに世界三大美術館のひとつにして世界最高スケールのこの美術館には実に300万にのぼる収蔵品が有ると言われております。セントラルパークのほぼ中央で五番街に面したところに在ります。

シカゴ美術館、ボストン美術館で、いずれもお目当ての作品を探しもとめているうちに迷い子状態になり集合の場所に辿りつくのに苦労した苦い経験が有りますので、メトロポリタンではこの経験を生かして案内図を事前にチェックしてからまずはお目当ての作者の部屋に行くことにしました。お目当ての作者は、フェルメール、ゴッホ、モネ、ゴーギャン、ターナーです。

そして作品は、フェルメールの「少女」「水差しを持つ女」、ゴッホの糸杉を描いた縦長と横長の2作品と、ゴーギャンの「二人のタヒチの女」、モネの「睡蓮」と「サンタドレスの庭園」、ターナーの「大運河、ベネチア」の8作品でした。結局、観賞できたのは5作品でした。以下、観賞できた作品を紹介していきます。

まず、フェルメールをお目当てにしたのは、数年前日本でフェルメールブームが起こった時にテレビ画面を通して観た「水差しを持つ女」でした。高価な青金石で精製される青色顔料の青群青を使って表現される独得の青色は「フェルメールブルー」と呼ばれ、全く絵心の無い私の目をも惹きつけたからです。

メトリポリタン美術館所蔵のフェルメール作「水差しを持つ女」

以来、ネットを通してフェルメールの全作品36点(疑惑作数点を含む)を観賞しその素晴らしさに感動しました。そして36点の中でもベスト5に入る「水差しを持つ女」「少女」をニューヨークのメトロポリタンで「天秤を持つ女」がワシントンの国立美術館で観賞出来ることが判った以上、フェルメールを真っ先にお目当てにするのは当然の成り行きでした。

フェルメールの「水差しを持つ女」
「天秤を持つ女」と人気を二分する超有名なフェルメール作品です。私は「天秤」より「水差し」が好きです。その理由は、既述したようにスカートの鮮やかな青色にあります。私のデジカメ画像ではその色が全く表現されてないのでウイキペディアの「フェルメールの作品」掲載の画像を上にに転載させて頂きました。どんな高級カメラでもフェルメールブルーの美しさを表現することは出来ないと思います。やはり実物を前にしないと判らない本物の好事例と思います

フェルメールの「少女」
少女を描いたフェルメール作品の中では「真珠の耳飾の少女」ほど著名でないもののガイドブックで紹介されていた代表作品でしたのでお目当てにしました。耳飾の少女のような美人ではないもの愛くるしく幸せそうな表情が印象的でした

フェルメールの「信仰の寓意」
ある意味を、直接には表さず、別の物事に託して表すことを「寓意」と言いますが、胸に手を当て地球儀に片足を置き天井から吊り下げられている球体に目をやる女性の描くことで何を伝えようとしているのでしょうか。机上に十字架が置かれ、背景の画中画にキリストの磔刑図が有ることから宗教的な意味を持っていることは明らかと思いますが私にはサッパリ判りませんでしたが、画中の青色は綺麗でした

次に、ゴッホをお目当てにしたのは数年前に名古屋で開催されたゴッホ展を夫婦で観賞したことがきっかけでした。数々の名作に感動しましたが特に独得の明るい黄色に魅了されました。ゴッホの弟への手紙の中に、黄色の絵の具を送ってほしいとの記述が数多く見られるとのことです。黄色は太陽の色であり、幸福や生命の光を感じさせ、色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を表わしており、苦悩の人生を送っていたゴッホには大切な色だったのかもしれません。

私が特に感動したのは、ゴッホ愛好家巡礼地、クレラー・ミューラー美術館所蔵の「夜のカフェテラス」を目の当たりに観賞できたことでした。この作品でゴッホは、ガス燈の明かりで煌々と輝くカフェテラスの様子を濃紺そして黄と橙の補色関係で鮮やかに描いております。彼は黄色の絵具をチューブからキャンバス上に絞り出して厚塗りすることであの独得の黄色を表現したと言われますが、その最高傑作が下の画像の「夜のカフェテラス」と思います。

ゴッホの「夜のカフェテラス」

以来、夫婦そろってゴッホファンになり、女房殿はゴッホの「黄色い麦畑と糸杉」のF-10号サイズの複製画を購入し、居間に飾るに及んでしまいました。この絵は麦畑の黄色、糸杉の濃緑色、山の水色、空の青色、雲の白色がコントラストをなし、観ているだけでこころに安らぎを覚えます。この絵がメトロポリタンに展示されていることを知り女房殿の一番のお目当てになったのは当然の成り行きでした。

ゴッホの「麦わら帽子の自画像」
ゴッホは37年の生涯で41点の自画像を描きましたがこの麦わら帽子を被った自画像」はその中でも最も有名で、アルルへ旅たつ前に描かれたとされております。一点を見詰める眼差しに苦悩を感じ取ることができます

ゴッホの糸杉シリーズの中で最高と言われる「糸杉」
入院していたサン・レミの病院から見える糸杉を観て描いたと言われております。ゴッホにとって糸杉は人間の生から死に至る象徴であり苦悩する自身を反映するのに最も的確な題材として捉え、糸杉を題材にした作品を多く残しておりますが、この作品が中でも最高傑作とされております

ゴッホの「黄色い麦畑と糸杉」
女房殿が複製画で購入した絵です。うねる雲と天に真っ直ぐ伸びる糸杉がゴッホの悩める心を表しているようです。ゴッホの絵は厚塗りで知られ立体的に見えるのに対し複製画は平面的ですので全く違う絵に見えます。この絵を観る人たちが途絶えた一瞬を狙って、この絵の横に立つ女房殿の記念写真を撮っておきました。

モネの睡蓮(1)
モネを3番目にお目当てにしたのは、以前からモネの「睡蓮」が好きだったことからシカゴ、ボストン美術館で「睡蓮」を観続けたことからメトロポリタンでも何としても観たかったからです。

モネの睡蓮(2)
モネは晩年、パリ郊外ジヴェルニーに睡蓮の池を中心とした庭を作り、そこから200点にも及ぶ「睡蓮」を異なった時間、異なった光線の下で描いたと言われております。確かに上の絵と比較すると光の当りかたが全く異なります

4、5番目にお目当てにしていたゴーギャンの「二人のタヒチの女」ターナーの「大運河 ヴェネチア」はいずれもは探し切れず観ることはできませんでした。「二人のタヒチの女」はあまりにも有名だったこと、「ヴェネチア」は透き通ったように美しい描写に惹かれたからでした。ネットから以下に掲載させて頂きました。

ゴーギャンの「二人のタヒチの女」

ターナーの「大運河 ヴェネチア」

約3時間のメトロポリタン美術館の観賞を終え、夕食をブルックリンのビフテキ専門レストランで摂るべく、イーストリバーに架かるウィリアムスバーグ橋を渡ってブルックリン区に入りました。すると風景は一変しました。マンハッタン区は洗練された大都会に対し、ブルックリン区はそれに追いつこうとして未だに古さが残っている都会と言った感じで、下の画像に見られるように建物への落書きが等が目立ちはじめました。

落書きされたブルックリンの建物

一族から祝福される高校三年の女子高生(中央)

「Giand on the Water」の玄関

マンハッタンとブルックリンを結ぶ橋は南の下流からブルックリン橋、マンハッタン橋、ウィリアムスバーグ橋の三つが有り、その頭文字をとってBMWとすれば覚えやすいことで知られております。この「Giand on the Water」は、ウィリアムスバーグ橋の直ぐ近くに在り、上の写真の右手に橋の一部が見えます。店内からウィリアムスバーグ橋をはじめ、マンハッタンの風景が望めることで人気が有るようです。肝心のビフテキ料理は量が多過ぎる上やや堅めで私には残念ながら不向きでした。

「Giand on the Water」の店内から観た夕焼けのウィリアムスバーグ橋

夕食を終えてから、今日最後の行事、「Top of the lock」からのマンハッタンの夜景見物をすべく5番街のロックフェラーセンターに向かいました。ロックフェラー・センターは超高層ビルを含む複合施設で、クリスマスにここに立てられる巨大なクリスマスツリーはニューヨークの冬の風物詩です。ところが、1989年10月のバブルの最中に三菱地所がロックフェラーセンターの大半(14棟)を約2,200億円で買収したことからニューヨーク市民の反感を買い大騒ぎになりました。

ロックフェラーセンターび在る、巨大なクリスマスツリーを支える土台のカバー

しかし、バブル崩壊で三菱地所は14棟のうちGEビルをはじめ12棟は売却された結果、騒ぎは収まり、2005年11月1日にこのGEビル(259m 70階)の屋上に在る「Top of the lock」が、サミットシャトル(高速エレベーター)を伴ってリニューアルして20年振りに再オープンしました。我々も、かなりの間待たされましたがこのサミットシャトルで67階の展望台まで直行しました。天井がガラス張りで昇る途中光のショーが映し出されました。

「Top of the lock」から観る三日月が見える夕方のマンハッタン
中央に光って見えるのはクライスラービル

「Top of the lock」から観るマンハッタンの夜景
左に光って見えるのがエンパイアステートビル、右側の三角状に光って見えるのがシティーコープセンター、その右側に光って見えるネオン塔のようなものの正体は判りませんでした。かくして夜景見学を終えホテルに帰ることでニューヨーク観光は終わりました

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