−日記帳(N0.1525)2006年02月16日−
ネパール物語(3)
(ヒマラヤ山脈の起源)
−日記帳(N0.1526)2006年02月17日−
ネパール物語(4)
(ヒマラヤ山脈とその山々)

衛星から見たヒマラヤ山脈(空色の部分がエレベスト)

ヒマラヤ山脈は今から約1億年前に、インド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの衝突により隆起して出来たとの学説は今や定説になっております。確かに、上の衛星から撮影されたヒマラヤ山脈はその説を物語るように東西にその隆起した跡がはっきりと認められます。インド・オーストラリアプレートが沈み込んだため南側(インド側)がめりこんで溝状になっております。ネパールはこの溝状の部分に位置しております。溝とは言ってもそれでも2,000m前後の高地に位置しており、赤い枠で囲われた部分がカトマンズ盆地のある地域です。

そして、この隆起現象が一気に起きたのではなく徐々に起こったことが、面白いことにツルのチベットからのヒマラヤ越えの行動で実証されているのです。秋になるとツルの大群がチベット方面からヒマラヤ山脈を越えてインドに渡る ことが現在でも視認されており、その数は数十万羽とも言われその様子は壮観そのものだそうです。そして、このツルのインドへの渡りがモンスーン明けの好天の頃に当たるとの日本山岳会・松田氏の提案を受けて多くの日本の登山隊がツルのヒマラヤ越えを観察してヒマラヤ登山を成功させていると言われます。

ツルは8,000mを超えるヒマラヤ山脈を無理して越えなくても、少し遠回りにはなりますが西側の中央アジアからイラン、東側の中央アジアから中国の両ルートでインドに行けるはずです。そこで、最初にツルがヒマラヤ越えをした頃はまだヒマラヤ山脈が形成されていなかったのではとの学説が唱えられるようになりました。鳥類の起源が1億年以前、ヒマラヤ山脈がインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの衝突により隆起し始めたのが2,000万年前であることは科学的に実証されているようですから上述の学説は充分有り得ることと思われます。

1936年にアーノルド・ハイムたちはヒマラヤの中央地帯を横断する調査を行ない、はじめてインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートの衝突・合体した傷跡とも言える「縫合帯」を発見し、1964年にエベレストの頂上部が海底だったことをそこから海の生物の化石を発見したことで立証しております。この画像は、エベレストの4,000mから6,000mのチョモランマ層から発見されたアンモナイトの化石です。地球上の世界最高峰が海底だったという事実そしてあの美しいツルがヒマラヤ山脈越えるという事実を知って何かロマンを感じ、今回のネパール旅行の動機に繋がりました。

この学説が正しいとすれば、2,000万年で8,000m 隆起したことになりますので1万年で4m 程度高くなるだけですから、ツルにとって少なくともは自分が生きている間は高くなったことを実感しないまま子孫に伝えらているうちに、ツルが8,000m の高山を渡れるように進化したことになります。この学説の真偽のほどは私には判りませんが、昨年パキスタンで起こった大地震が、このヒマラヤ山脈隆起の原因となったインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートのせめぎあいでその南麓に沿って生成した帯状に2,000kmも続く世界最大級の活断層によるものと知ってロマン気分は吹き飛んでしまいました。以上は、昨年10月14日の日記「ツルのヒマラヤ越えの謎」から引用しました。

(ゴーキョ山頂から南西方向の展望、南方のエベレストは見えない)
(左からチョラチェ(6440) タウチェ(6367) カテンガ(6685) タムセルク(6608))


チベット平原の南側に、北海道から九州までの距離に相当する全長2,400kmに及ぶヒマラヤ山脈北側に崑崙山脈、




前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ
inserted by FC2 system