雑感記 第11章 額田王と飛鳥の歴史

(1) 嫌いな国語を好きにしてくれた額田王の歌

私は小さい頃から国語が大嫌いでした。

ある時、国語のテストで「この詩の意味を書きなさい」と言う問題が出されたので自分なりに 考えて解答したら「それでは作者の思いが全く伝わっていない」として 零点を付けられました。

「それが作者の思いであるとの証拠がどこに有るのか」と先生に文句を付けたら 教員室に呼ばれて散々お説教を食らい 、それ以来解釈によっては何通りかの答が有るような国語は嫌いになりました。

数学で言えば X+Y=10 を解けと言うようなものです。
解きようがなく無限に答が有ります。
大胆なことが好きな人なら、X=10000 Y=-9990
平凡なことが好きな人なら、X=5 Y=5
とそれぞれ答えてもいいわけです。

ところが、例えばもうひとつ式  XーY=2を加えて連立方程式を解きなさいと言われたら X=6 Y=4 のひととおり答しか有りません。
その後は答がひとつしかない理数系の世界に惹かれて その道に入って現在に至っております。

ところがある一時期、国語が好きになったことが有りました。
高校の国語の時間で万葉集を解説する授業が有りました。
その中で、有名な額田王(ぬかだのおおきみ)の次の歌

茜さす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る
この歌の解釈を問われた私は 「好きなあの方が手を振って合図している、こちらも手を振って答えたいけれど 見張りの役人に見つかったらあの方に迷惑がかかるといけないからここは知らない振りをするしかないのがとても悲しい・・・・・」
と答えました。
すると先生は「いろいろ解釈が考えられるがそれもひとつの解釈だ。」と言って誉めてくれたのです。

当時、女性の手を握ったこともない多感な少年だった私は、ひたすら女性を美化して自分の想像の世界でヒロインに仕立てると言う単純な発想でこの歌の解釈しただけのことでしたので、先生に誉められて満更ではないと自分を見直すとともにこの額田王と言う女性を憧れの女性と思うようになりました。

恥ずかしいことに、この歌が大海人皇子(おおあまのおおじ)の次の歌との相聞歌であったことを当時知らなかったのです。

紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋ひめやも

この歌の解釈は「ムラサキがにおうように美しいあなたを憎いと思ったら、人妻と知りつつ何で恋をしましょうか」と 言うことで間違ないとすると、私の解釈は随分いい加減なものかと思い知らされました。

つまり、額田王はその時人妻であったこと、二人は元夫婦であったこと、その時は離婚していましたが二人の間には十市皇女と言う子供もいたことは史実に基く事実ですのであの歌の解釈はそう単純ではないはずです。


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