ニュ−ジーランド紀行記(第1日:クライストチャーチ)

理想社会の建設を夢見た英国・オックスフォード大学のクライストチャーチ学寮出身者によって作られたことからその名が付けられたクライストチャーチは人口32万、オークランド、ウエリントンに次ぐニュージーランド第3位、南島で最大の都市でエーボン川を中心に基盤目のように区画された街並みは美しく、緑豊かな公園や庭園が有ることから、別名「庭園の町」と呼ばれ、英国より英国らしい美しい街として知られております。
周辺を含めると南島の約半分がクライストチャーチに住んでいることもあって南島にはこの街以外には交差点に信号機が無くロータリー方式になっているのに驚きました。
それだけ車も人も少ないのでその必要性が無いことに加え、原子力発電を放棄し、全発電量の80%をクリーンな水力発電に依存しているため無駄な信号機を減らして節電する目的も有るとのことでした。 道路沿いに自販機が全く見られなかったこと、ホテルのテレビも未使用中は元電源が切られて待機電力による無駄な電力消費を押さえていること等、国民の節電意識の高さに感心しました。
また車も全体に質素で、中古車が多くそれも約80%が日本車であるのに驚きました。

クライストチャーチのシンボルの大聖堂
ゴシック様式の荘厳なこの大聖堂は1864年から40年という
長い年月をかけて造られ、その尖塔の高さは63mあります。
入場料を払って展望台まで急な階段を登っていくと緑ゆたか
な市街から遠くカンタベリー平野を望むことが出来ます。
前の広場には自称芸術家や観光客がよく集まる名所です。
エーボン川沿いのモナ・ベール邸
市内中心部を流れるエーボン沿いにあるエリザベス朝の
瀟酒な邸宅で、今世紀初頭に建てられ、その後カンタベ
リー羊牧場の女主人アニー・タウネンド夫人の持ち家にな
った後、30年前にクライストチャーチ市が買い取り、美しく
手入れされたバラ園を市民に開放し親しまれております。
追憶の橋
エイボン川にかかる橋の中で一番有名なのがこの「追憶
の橋」で、第1次世界大戦の戦場となったヨーロッパに向け
てここから戦士が出征して行きました。連隊の宿舎を出て
駅に向かう途中、この石橋で市民の見送りを受け、何時
までも記憶に留めるために追憶の橋と名付けられました。
サイン・オブ・ザ・タカ
ニュージーランドの自然保護運動家で政治家のヘンリー・
ジョージ・エルが丘陵地帯美化の一環として1919年に着工
1949年完工した英国中世の貴族の館を思わせる豪邸で
中には古い馬具、鎧等が陳列され、屋上には展望台も有り、
邸宅は、現在はレストランとして使用されております。

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