講座集 第2章 資源回収・リサイクルに役立つプラスチックスの知識

(13)間違った呼び名になるテフロン、サランラップ

最近フライパンなどの鍋に「テフロンコーティング」などと表示されているのをよく見かけます。このコーティングが鍋底に施されますと、油脂を塗らなくても食材が固着しなくなるので大変便利です。その理由は、テフロンが実用プラスチックスの中で最高の耐熱性と、如何なる材質とも接着しないと言う不活性を保有しているからなんです。

そして、実はこのプラスチックスは原子爆弾製造に不可欠の材料だったのです。米国は太平洋戦争の末期に日本を早期に降伏させるためと称して原爆の製造を計画し、「マンハッタン計画」で極秘裏に研究・開発を進めておりました。ウラン鉱石から有用なウラン235をウラン238と分離するのに、ウランを六フッ化ウランにして遠心分離器にかけることで、重いウラン239は外側に、軽いウラン235は内側に集まるのでこれを何回か繰り返して純度を上げることが出来ます。

その際に問題になったのは、六フッ化ウランが腐食性が強く、金属、セラミックス、ガラスが使用できなかったことでしたが、このテフロンを機器類に採用することで見事に解決しました。まさに、テフロンは原爆の生みの親になったようです。米国・デュポン社に勤めていたある研究者が4フッ化エチレンガス入りのドラム缶に白い粉が付着しているのに気付いたのがきっかけで、4フッ化エチレンを重合させて、ポリテトラフロロエチレンと言うプラスチックスを得ることに成功しましたが、それがこのテフロンです。

戦後、デュポン社はこのプラスチックスを「テフロン」と商品名を付けて世界中に独占販売を続け、特許切れしてから、日本でもダイキン、旭硝子が商品化しましたが「テフロン」と言う名前を付けることが出来ないので、ダイキンでは「ポリフロンPTFE 」、旭硝子ではFluonPTFEと呼んでおります。しかし、あまりにもテフロンの商品名が浸透しておりますので、どうしてもテフロンを使いたい場合は、その右に丸にRの文字を入れることになっております。

特定の会社の商品名がそのまま一般的な呼び方になっている事例として次のものが有ります。

・ナイロン    ・テトロン    ・サランラップ

「ナイロン」はデュポン社の商品名で、日本でこのプラスチックスを商品化した時は、学名のポリアミドから「アミラン」としたのですがうまくいかず、。結局デュポン社に使用料を払って、東レ・ナイロンとし、追従する宇部興産も「宇部・ナイロン」等とすることになりました。「テトロン」は東レと帝人両社共通のポリエステル繊維の商品名(帝人のテと東レのトを採用)でしたが、追従するメーカーが多くなったので、業界として「ポリエステル」と統一しました。従って、ナイロン、ポリエステルを一般名として使うのは問題有りません。

ただ、「サランラップ」は旭ダウのラッピング用フィルムの商品名、「クレラップ」は呉羽化学の同類の商品名ですから、一般名として「サランラップ」と言うのは間違いで、ラッピングフィルムと言うべきです。この両者とも、ポリ塩化ビニリデンと言うプラスチックスで、ポリ塩化ビニールより塩素が一つ多いので燃やすと有害な塩化水素や場合によってはダイオキシンを発生する恐れが有ることから、ポリエチレンフィルムと分けてゴミ出しすべきですが、分別するシステムが有りませんので一緒に処理されているのが実態です。酸素や湿気を通しにくくポリエチレンフィルムより耐熱性が高いので、食品を包んで冷蔵庫に入れたり、ラッピングしたまま電子レンジで暖めることが出来ますので家庭での必需品になっております。


(14)化学繊維と合成繊維の違い

最近は「カセン」と言う言葉はあまり聞かれなくなりました。この言葉は化学繊維の略語です。19世紀に入って高価な絹に代わる繊維を化学的に作ろうと世界中の化学者が研究しておりました。それは、木材の成分で紙の原料にもなる天然の木質繊維、セルローズを何とか紡糸しようとする試みでもありました。 そのきっかけは、1845年 ドイツのシェーバインがセルローズが硝酸に溶けることを発見したことにはじまり、1857年にはドイツのシュワイツァーが、セルロースが銅アンモニア溶液に溶けることを発見し、ついに1884年にフランスのシャルドンネ伯が硝酸セルロースの繊維化に成功したのが化学繊維第一号で、人造絹糸(レーヨン)と命名してパリ博覧会に出品しましたが、火薬でもあり非常に燃えやすいと言う欠点を有していたためこの繊維のドレスを着たモデルが会場で焼死すると言う悲劇をもたらし商品化されませんでした。

そこで、1891年にドイツのフレメリとアーバンがセルローズの銅アンモニア溶液の紡糸化に成功し、更にイギリスのクロス・ベバンはキサントゲン酸セルロース法によるビスコースレーヨンを発明するに及んでレーヨンは人気商品となり、日本でも東洋レーヨン(現在は東レ)帝国人絹(現在は帝人)倉敷レーヨン(現在はクラレ)、旭人絹(現在は旭化成)などで企業化され、1920年代後半日本は世界最大のレーヨン生産国になりましたが、1967年をピークに、その後は海外品との競合、更には後で述べる合成繊維のの侵食により、その生産量は年々減少を続けております。

レーヨンは、木材パルプを苛性ソーダで処理した後、二硫化炭素と反応させてセルロース誘導体を作り、これをアルカリ溶液に溶解させて原液(ビスコースと呼ぶ)とし、この原液を細い孔が多数ある"口金"から酸性浴中に押し出し、化学反応させて二硫化炭素とセルロースを分離し、セルロース繊維を繊維上に再生させることからビスコースレーヨンまたは単にビスコースと呼ばれることもあります。また、セルローズに酢酸を反応させたアセテート繊維もレ^ヨンの一種です。

合成繊維は、化学繊維と異なり天然の繊維は一切使わずに、主に石油から分留して得られるエチレン、プロピレン等のからモノマーを合成しそれを重合して得られるポリマー溶液を固化液浴に押し出すかまたは溶融したポリマーを口金から押し出して繊維化されるものです。従って加熱すると溶ける熱可塑性プラスチックスは全て繊維化できますが、強度、染色性等の繊維としての特性が要求されるためポリエステル、ポリアクリルニトリル、ポリアミドが三大合成繊維として全体の80%以上を占めております。 

このように合成繊維が化学繊維を圧倒的に多くなってきたため、化学繊維の定義を合成繊維を含む化学反応によって得られる繊維とこの図表のように拡大解釈するようになりました。 ポリエステルは昭和32年に日本で最初に帝人と東レで企業化され両社共通の商標「テトロン」(帝人の「テ」と東レの「ト」より)が流通していたため、後続他社はこの商標に対抗するために「ポリエステル」で統一しております。ポリエステル繊維は、丈夫でシワになりにくく、吸湿性が少ないため乾燥が速く、耐光性に強く、虫やカビの心配がないという様な利点を多く持っています。 このポリエステルは「PET」と名前を変えてボトルにもなりますので、幅広い用途を持つようになりました。 

ポリアミドは、左頁の「ナイロン」の項の説明にある通り、各社とも「ナイロン」の商標を使っております。合成繊維の中で最も早くつくられたのがナイロンで、1036年にアメリカのデュポン社が初めて生産し、わが国では、1940年から東洋レーヨン(現東レ)が研究を始め、1951年に本格的に生産を開始しました。 ナイロン繊維は丈夫で水に濡れても強さが落ちない、染料の染着性がよい、風合いも絹のように柔らかであるというような特長から広く普及しております。戦後、シャツと靴下に使われましたが着心地、履き心地よくないことから他の用途に利用されておりますが、1980年代以降成長が鈍化しております。 



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