雑感記 第26章 サダム・フセイン物語
サダム・フセイン物語(5)


イランとイラク両民族はは歴史的に対立を繰り返しておりました。紀元750年にウマイヤ朝を滅ぼしたアッパース朝・ペルシャはバクダッドに遷都しました。現代流に言い換えれば イランがイラクを攻略したことになります。その後もアラブ民族のイラクとペルシャ民族のイランは小競り合いを繰り返してきました。 特に、チグリス・ユーフラテス川が重なってペルシャ湾に注ぐシャトル・アラブ川の領有権を主張してイラクが占領すると言う小競り合いが有りましたが、75年にイラク国内のクルド人にイランが軍事援助を行わないことなどを条件にその領有権を放棄するというイラク側提案をイランが合意して和平協定が結ばれ小康状態を保っておりました。

しかし、79年にサダムが大統領になるや、78年からイラン国内で起こったシーア派によるイラン革命にイラク国内で2/3以上を占めるのシーア派がに同調して反乱を起こすことを懸念して、この和平協定を無視してイランに対する空爆を開始してイラン・イラク戦争が勃発しました。当初はイラク軍が優勢でしたが82年以降は逆にイラン軍がイラク領内に侵攻を開始して本格的な戦争になりました。イランが勝つとイスラム原理主義勢力が台頭することを憂慮した米国はサダムのイラクに対して軍事援助を行いました。

この際、米国がイラクに対して何らかの形で生物化学兵器に関する援助を行ったとの観測が有ります。イラクはその後国際法を無視し大量の生物化学兵器を使用して多数のクルド人やイラン人を殺傷したのにも関わらず国際社会や国連はアメリカを中心にこれを黙認し結果、イラクので作られた生物・化学兵器が戦場に拡散する結果を招き、戦況はイラクに有利に展開していきました。漸く88年に国連での停戦決議を両国が受け入れることで停戦が実現しました。しかし、これを契機に、バース党による一党支配、サダムの独裁が強まり、イラクは生物・化学兵器などの大量破壊兵器を背景に軍事力を強化し湾岸戦争に至る伏線が出来つつありました。

サダムは、クウェートは元々イラクの領土であり、英仏などが勝手に線引きしたに過ぎないと考えておりました。 確かに、イラクの国境をサラディンによるアイユーブ朝まで遡ればクウェートどころかシリアもエジプトもイラク領になり、アッパース朝時代に遡れば逆に現在のイラクは全てイラン領になってしまいキリが有りません。

従ってサダムのこの主張は全く根拠の無いもので、サダムを敢えて1990年8月2日にクウェートに進攻させたのは、当時クウェートがOPEC協定に違反して増産を繰り返して石油価格の下落を招いてイラクの国益を損ねる態度を取ったことにサダムが怒ったことにあると思います。それと、イラクは石油を積み出す良港に恵まれていないためクウェートにある天然の良港はサダムにとって魅力であり、イラン・イラク戦争でアラブ諸国がイラクに味方し米国の支援を受けたいきさつからクウェートに進攻しても米国は不介入との読みがサダムに有ったものと思われます。その読みの甘さがサダムの命取りになり現在の悲劇に繋がったように思います。

イラクはイスラエルをこの戦争に巻き込めば、イスラエル対アラブとの図式が出来てアラブ諸国の支持が得られると考えてイスラエルにスカッドミサイルを打ち込んで報復攻撃するよう仕掛けたのですがイスラエルは米国の説得で自重したためこの仕掛けは失敗に終わり、逆にイラクの軍事力に脅威を感じたアラブ諸国が敵に回って多国籍軍に加わる羽目になりイラクは完全に孤立してしまいました。

国連はイラクの即時撤退を求める決議を採択し、91年1月15日までに撤退しなければ武力介入するとの 最後通告をしますが、イラクはこれを無視したため、91年1月17日、多国籍軍はイラクに空爆を開始し、2月24日に地上戦に突入し、そのわずか100時間後にイラクは降伏してしまいました。

ここで問題になったのは、アラブ諸国の反対も有って多国籍軍がバグダッドまで侵攻してサダム・フセイン体制を崩壊させることなく湾岸戦争が終結したことです。これがサダムを延命させて今回の自由イラク戦争を引き起こし、イラクの国家体制そのものまで崩壊させてしまったことです。

一人の横暴な独裁者が国家を破滅させ、国民を不幸のどん底に陥れるプロセスをこのサダムは全世界に示したことになります。国連、人的国際交流、インターネットの浸透、衛星による監視等によって、世界は国際法を無視する一国の独裁体制の存在を許さない土壌が出来つつ有ります。そのことをサダムが自ら実証したとすればせめてもの救いかも知れません。彼とその家族の生死は不明ですが例え生存しているとしても二度と政権の座に就くことは有り得ないと思います。

ただ、問題なのは現在の国連には国際紛争を防止、停止するだけの力がなく、結局米英などの軍事力に頼るしかなかったと言うことです。そうした現実をわきまえないまま、国連中心に反戦活動を繰り返すだけではいたずらに独裁政権をのさばらせたり、延命させたりする結果に繋がる現実を直視すべきだと思います。

とは言え、何時までも、ある意味では国際的な独裁体制の感がある米国の専横をこのまま許しておくわけにもいきません。ここは、第二次大戦終了時そのままの旧態依然とした国連の機構・体制を日本、ドイツなどの経済大国、インド、パキスタンなどの核保有国、インドネシア、エジプトなどのイスラム大国を、英米仏露中の常任5ケ国に対抗させる体制にすることが最低限必要かと思います。

イラク復興問題、北朝鮮問題、パラスチナ問題が当面解決すべき大きな課題ですが国連がこれをどのように対処し、日本がその中でどのような役割を演じていくかが注目されると思います。サダムも自分が残した負の遺産をイラク国民を中心に全世界が負担しつつ早く正の遺産に変えていくことを願っていることと思います。
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