上海・蘇州・無錫旅行第二日


随分、昔のことですが父に連れられて見た映画に「支那の夜」がありました。日中合作映画で当時、満映の花形女優の李香蘭(後に山口淑子、大鷹淑子と改名し74年から参議院議員を3期18年勤め、現在はアジア女性基金副理事長として活躍中、著書に「李香蘭 私の半生」(共著、新潮社)等有り、83歳)と日本の往年の美男スター長谷川一夫が共演しておりましたが、街で見かけた乞食のような子を不憫に思った長谷川一夫がその子を自宅に連れ帰ってお風呂に入れ、風呂場から出てきたその子の眩いばかりの美しさに圧倒されるシーンが有りましたが子供の私もその美しさに魅了された記憶が有ります。その美しい女の子が李香蘭でした。 この映画の主題歌が「蘇州夜曲」で、「君がみ胸に抱かれて聞くは・・・♪」で始まり、「 ・・・鐘が鳴ります寒山寺」 で終わりますが、この寒山寺と名園の拙政園が今日の観光スポットです。




寒山寺の五重塔
(日本からの寄付金で建立)
詩人張継の漢詩「楓橋夜泊」
(この石碑で拓本を採る)


蘇州は上海から西に高速を飛ばして1時間ぐらいの位置にあり、人口430万の大都市ですが、上海と違い2,500年の歴史を持つ古都で、春秋戦国時代は呉の国の拠点で、随の煬帝によって作られた運河が街の中を流れ、更に水路が運河から縦横に引かれていることから水の都、東洋のベニスとも言われている とガイドさんは説明していましたが、次に行った拙政園の庭の水と同様に泥水のように濁っているためとてもそのようには思えませんでした。

この寒山寺は南北朝時代の天監年間(502-519)に創建され3回焼失と再建を繰り返し、現在の建物は1911年に再建され世界遺産に指定されております。当初は妙利晋明塔院という寺でしたが「寒山拾得物語で有名な唐の時代の名僧、寒山が移り住んだことから寒山寺と呼ばれるようになりました。ここには日本で有名な寒山拾得の掛け軸(右の画像参照)が展示されていました。

また、これも日本で有名になった、「月落ち烏ないて霜天に満つ・・・・」で始まる詩人張継の漢詩「楓橋夜泊」の石碑(右の画像参照)も有りました。ただ、この石碑は当は明の時代の名筆家、文徴明によるものでしたが拓本を採る度に摩耗してしまったたため、現在の石碑は清の時代の名筆家、愈曲園によるものだそうです。また、ここの鐘楼(右の画像参照)で突かれる大晦日の除夜の鐘の音を聞くと10年寿命が延びるとの言い伝えとNHKが「いく年、くる年」で生中継したことから日本からも大晦日には観光客がここに押しかけるとのことでした。




寒山寺の鐘楼
(鐘は1906 年に日本から贈られた)
寒山拾得の掛け軸
(太って面白い顔をしております)


寒山寺は大運河に面しており、その大運河に太鼓橋がかかっております。この大運河は中国の南北の大動脈とも言うべき、京抗大運河に通じております。この京抗大運河は北京と上海の南にある抗州1,700kmを結んでおり、我が国の奈良時代に作られたと聞いて驚嘆しました。ある意味では万里の長城にも匹敵する大事業だったと思います。そしてこの大運河が南北の大河、長江(揚子江)と黄河に繋がって物資の輸送が行われていたと思うとその壮大さに感動する思いでした。

そして、現在中国政府はこの北京、上海間に新幹線をドイツ、フランス、日本のいずれかより技術導入して建設しようとしております。すでに、北京、上海間は高速道路で結ばれておりますのでこれが完成すれば、陸、水、空の大動脈が完成することになります。

蘇州市内を流れる京抗大運河
(北京と抗州を結ぶ大動脈)
寒山寺の入り口の太鼓橋
(蘇州で最も有名な橋)


拙政寺は中国4大庭園のひとつで、明の時代に中央政界の高官の御使(検事総長に相当)だった王献臣が失脚してこの地に隠居してから造られたと言われます。この面白い名前はやはりその名の如く「拙い政治を行った 造営者の王献臣由来しているとのことでした。もともと、この場所は三国時代・呉の郁林太守であった陸績の邸宅をはじめとして有名人の邸宅を経て元代には大弘寺というお寺になっていましたので庭の各所にその面影が残っているようでした。確かに名園であることに間違いないのですが庭の水が運河から引水しているのでしょうか、濁って汚いのでせっかくの風景が今一冴えないように思いました。それと「10枚千円!」と声をかけて追いかけてくる「センエン押し売り集団」にも不快な思いをし、あまりいい印象は持てませんでした。

蘇州市内を流れる京抗大運河
(北京と抗州を結ぶ大動脈)
寒山寺の入り口の太鼓橋
(蘇州で最も有名な橋)


拙政園の次に訪れたのは「蘇州刺繍研究所」で、ここでは「買え買え攻勢」でうんざりでした。今回のような格安ツアーでは日本の旅行会社から赤字スレスレで現地代理店が請け負うため、現地代理店側のガイドさんはツアー客に買い物をさせそのバックマージンで利益を捻出するしかないようです。シルクロードで運ばれた絹製品はこの蘇州で作られたことから判るように蘇州は中国でも指折りの絹製品の産地です。髪の毛より遙かに細い繭糸を1本、1本よって絹糸にし、更に両面刺繍していく工程を見学しました。また玉繭(カイコの幼虫が2匹いる)では繭糸が絡まって絹糸にできないので、水に漬けてから半円形の竹ひごにかぶせながら丁寧に積み重ねて真綿布団を作る工程はツアー客全員が食い入るように見た上、その売り込み説明の上手さにつられてほとんどのツアー客が買っていました。私も1枚6,400円で買いました。帰国してから使用したところ軽くて保温性も有り買い得と判りました。


絹糸を刺繍している女工さん
(山田花子さんにそっくりでした)
見事な刺繍製品
(値段は100万円でした。)


蘇州での観光を終え、バスは次の観光スポットの無錫に向けて移動し、中国第三位の湖、太湖の遊覧をしました。この湖は長江の水が低地に流れて出来たらしく水深は平均2m、最深部でも3mしかなく、淡水真珠の養殖と上海蟹の漁で知られております。ところで、私の好きなカラオケ曲に、87年に尾形大作が歌ってヒットした「無錫旅情が有ります。

1.君の知らない 異国の街で
君を想えば 泣けてくる
おれなど忘れて しあわせつかめと
チャイナの旅路を 行くおれさ
上海蘇州と汽車に乗り
太湖(たいこ)のほとり 無錫の街へ
   ・・・・・・・・・
3.昔ながらの ジャンクが走る
はるか小島は 三山(さんざん)か
鹿頂山(ろくちょうざん)から
太湖をのぞめば心の中まで 広くなる
ごめんよ も一度 出直そう
今度は君を はなしはしない







遊覧船から見た鹿頂山
(左側の塔が立っている山)
夕陽に浮か三山の島影
(亀が泳いでいるように見える)


遊覧船から見た、その三山と鹿頂山の景色を右上に示しました。左は出航、右は帰航の時で帰航の時は日没寸前で夕陽に浮かぶ三山の美しい風景を捉えることが出来ました。そして、我々は時間が無くて行けなかった鹿頂山の山頂とそこから太湖を望んだ様子を他サイトの画像をお借りして右に示しました。




三山の中央の島の頂上の塔
(亀の背に当たる仙島)
鹿頂山の山頂にある塔
(虎羽さんのサイトから)


この歌は失恋した心を癒やすために上海、蘇州、無錫と旅をして、この鹿頂山から太湖の雄大な風景を見て、心が広くなる思がしてもう一度彼女に求愛して出直す気になった日本の男性の思いを唄っておりますが、無粋な私はこの風景を見てその日の夕食で賞味する上海蟹がこの太湖にどのくらいいるのだろうと考えておりました。

この無錫は蘇州より更に古く、紀元前13世紀、周の時代に呉の国の城がここに築かれたのが始まりで、当時は錫がここから産出されたことから、「有錫」と呼ばれましたが前漢の高祖劉邦の時代には錫が掘り尽くされて無くなってしまったため「無錫」と呼ばれるようになったといわれます。前に述べた京抗大運河が街を東西に二分しており、人口430万の近代的な大都市でもあります。

ここで泊まったホテルは昨日の蘇州のホテルのように風呂の湯がぬるすぎて入れないことはなかったのですが、湯バスが無くてシャワールームしかないのには閉口しました。湯バスに浸かると内壁から菌が皮膚に入り込んで不衛生として湯バスよりもシャワーを好む中国ではごく普通のスタイルらしいのですが、日本人にはどうも不向きです。

そして、夕食に特別に注文して出してもらった上海蟹を食べてまたがっかりしました。まず大きさが握り拳しぐらいしかない上、美味しいと言われる脳味噌が殆ど無く、身も少なくて食べられるところが僅かしかなく、その味も言うほどではなかったからです。今年は豊漁で値段も安く(この日は1匹1,500円)身もしっかり詰まっているとのことで期待していただけに残念でした。私には地元で獲れる「渡り蟹」ぼ方が美味しいように思えました、これはツアー客全員一致した意見でした。夕食後、ホテルの近くを散策したのですが、日本語のカタカナの店名の怪しげなバーが数軒有ったのには驚きました。近くのスーパーで青島ビール2缶(1缶75円)を買ってホテルの部屋で、NHKの衛星放送を身ながら口直しに飲んで早々と就眠しました。







鹿頂山・山頂から太湖を望む
(晴さんのサイトから)


前 頁 へ 旅行記目次へ 次 頁 へ
inserted by FC2 system