上海・蘇州・無錫旅行第三日


昨晩は、ホテルの近くで買って飲んだ青島ビールを2缶飲んで就眠したお陰でぐっすり眠れました。今日は無錫から上海まで約170キロのバスでの2時間を越える江蘇高速道路を利用しての長時間移動です。この高速道路は上海、南京間300キロに渡っており、江蘇寧滬高速公路股分有限公司(江蘇高速道路と略称)が管理・運営しており、株式市場に上場されております。資本主義の日本の高速道路は道路公団としていわば国営企業ですが、社会主義の中国が逆にが、株式会社となって民営化された形を採っているのは皮肉なことです。

この会社の最新の株価(12/30午前)は4.2元( 57.9 円) で右のチャートから判るように、99年3月の0.8元を底値としてほぼ4年間で5倍以上に高騰しております。昨日の日記に書きましたようにこの高速道路のサービスの悪さは酷いものでしたが、それでもこの株価なら将来マイカー所持率が上がり料金がもう少し下がれば今後更に上昇する期待が持てますので帰国したらこの株を持っている友人に相談することにしました。

この銘柄以外にも中国株は高騰しており、例えば昨日飲んだ青島ビールの最新の株価は9.5元(131円)で、このチャートで明らかなように、98年の0.6元を底値としてほぼ5年間で15倍以上に高騰し、特に最近の急騰が目立ちます。この旅行での食事の際に出されたビールは全て青島ビールでしたのでその独占ぶりはかっての日本のキリンビールを凌いでいるようです。レストランでは10元(150円)でほぼ統一されておりますが、スーパーでは3元から5元で売られており、地域と製造年月によって価額に差が出ているようでした。因みに5元で無錫で買ったビールは今年の6月の製造で半年以上経過しており、日本の最長でも3ケ月以内という相場からすれば流通に問題が有るようです。ただ中国人はビールを冷やして飲むことに拘らないのか、上海のレストランでも平気で泡だらけのなまったビールを出しますので製造年月なんてどうでもいいのかも知れません。






江蘇高速道路の上場以来の株価推移
(99年3月の0.8元を底値としてほぼ4年間で5倍以上に高騰中)


蘇州市内に入った時、珍しい光景を車窓から見ました、(右の写真)それは、この地方での霊柩車でした。写真の一番左側の女性が、どうやら喪主のようで、傍らの女性がしきりに抱きかかえるようにして慰めているように見えました。棺は赤い布で覆われ、親族は喪服の白い服を着て白い頭巾を被るのが慣わしだそうです。名前は忘れましたが、

土に入ってこそ、安らぎが得られるとの思想のもとに、数千年来、土葬の習慣が続いてきた中国では、1950年に毛沢東が従来の土葬を改革し、封建的な風俗を取り除き、火葬の導入を提唱して以来、火葬の風習が定着しているとのことでした。上海などの人口密集地では火葬が義務づけられておりますが過疎の農村部では土葬が行われているようです。こうした傾向は韓国も同様で、特に如何に国土が広いと言えども13億の民が土葬を続けたら中国の都市部は墓だらけになってしまいますので当然の成り行きかと思います。


高速道路で見た霊柩車の風景
(これから火葬場に行くところのようです)


上海市内を散策中に二つの珍しい光景に出逢いました。ひとつは花束を手にした新婦の手をとって歩いていた軍服姿の新郎の姿です。50年代はベッド1台、60年代は飴1袋、70年代は毛沢東語録、80年代は自転車、ミ シン、ラジオの家財道具、90年代は星つきのホテルで大宴会と中国の結婚式のスタイルは変わってきましたが、上海では五つ星のホテルでの披露宴が大流行で、毎年上海では約10万組の結婚式が行われるとのことでした。

この日も風水による吉日なのか新婚カップルの姿をバスの車窓から見かけましたが、右の写真のような風景は初めてでした。もうひとつは街を颯爽とパトロール中の婦警トリオの姿です。それもスタイルも顔もいい上海美人だったので思わずカメラを向けてしまいました。本当は真正面から撮りたかったのですがさすがに気が引けて彼女たちに気づかれないように横からさりげなくシャッターを切りました。この場所は浦東地区の東方明珠塔の近くの高層ビルのオフィス街でしたが行き交う車や人も少なく、少し異様な感じがしました。



街路を歩いている新婚カップル
(軍服姿がいかにも中国らしい)
街をパトロール中の婦警トリオ
(3人とも素敵な美人でした)



上海市内には実には実に多くの高層のアパートやマンションが有ります。面白いことにそれが高級マンションか並みのアパートかは直ぐに判るように思いました。それは、右の写真のように窓から物干し竿を突き出しているのはベランダが無いからで殆どは並みのアパートで郊外に多いように見受けられました。。そしてベランダが有っても干し物が無いのは相当な高級マンションと思われ、浦東地区の高層ビルが林立する地帯に見受けられました。美観を害するために禁止されているものと思われます。高層ビルの谷間に平屋を含む低層アパートがまだ多く残っておりましたが、いずれ区画整理の対象になって消えていくものと思われます。土地は国有地ですから土地利用期限が過ぎれば否応なしに立ち退かざるを得ないからです。



上海名物の突き出し物干し竿
(ベランダが無いための苦肉の策)
高層ビルの谷間の低層アパート群
(浦西地区に多く見られる)



上海は70代以上の特に上海人にとっては屈辱的な街、魔都でしかないと思います。1840年に清朝が阿片戦争で英国に敗れ、上海などの開港に応じ、香港割譲の不平等条約を締結したことを契機に、米国、フランス、日本等が中国に圧力強め、黄浦江の西側一帯に中国政府の主権の及ばない地域(租界)を設定し豪華な建物を作って居住していたのがこの外灘一帯です。その中に黄浦公園が有りましたがその入り口に「犬と中国人は入るべからず」の看板が立てられたり、この黄浦江を渡る橋は「外白渡橋」と呼ばれこの橋を渡るのに外国人は無料で中国人には有料にするなど差別が酷かったようです。この外白渡橋を渡った北側に旧日本租界の「虹口(ホンキュは)」が有りここに多くの日本人が住んでいました。そして、その虹口から外白渡橋を渡った 現在の福州路は当時「四馬路」と呼ばれ日本人には馴染みの歓楽街でした。「馬路」とは大きな通りのことで、南京路が「大馬路」で、福州路は、南京路から南に四番目の通りにあるので「四馬路」と呼ばれたようです。



外灘(ワイタン)の散歩道
(ここからの夜景が素晴らしい)
外灘から浦東地区を望む
(前の船は黄浦江の遊覧船)



戦前のディックミネのヒット曲「夜霧のブルース」にの「・・・夢の四馬路(スマロ)か虹口(ホンキュ)の丘か・・、戦後の津村謙のヒット曲「上海帰りのリル」の「・・・夢の四馬路(スマロ)の霧降る中で・・・」の中でこうした地名が出てくるのは、こうした外国の租界が当時の日本人にとって憧れの地だったからだと思います。

次に訪れた玉仏寺には文字通り2体の玉仏が安置されております。開祖は浙江省普陀山の僧、慧根上人で、三蔵法師を見習って経典を求めミャンマーに行き美しい玉が豊富に産出されることを知り、ミャンマー王の許可を得て大小5つの玉仏を入手して普陀山に帰る途中上海に立ち寄り、当時貧しかった上海民衆のために座仏・臥仏各1体を残していったことからこの名が付けられたと言われます。

2体の玉仏のうち1体は玉仏楼内に本尊・釈迦牟尼仏(仏陀座像)として、他の1体は右の写真にあるように珍しい臥仏の釈迦涅槃像として臥仏堂に祀られております。いずれも女性的な柔和な顔をしており、特に臥仏はなまめしさを感じさせるようです。尚、玉仏寺は禅宗・臨済宗に属していることから「玉仏禅寺」とも呼ばれております。中国人の65%は仏教徒で日本のそれと較べると信仰が厚いことを物語るように、ここに参拝する人たちは実に熱心にお祈りしておりました。(右の写真)





線香を捧げ熱心に祈る女性
(次に地面にひれ伏しました)
白玉石で造られた釈迦涅槃像
(外側からのみ撮影可)



四川省の役人で、布政使をつとめた潘允端が18年かけて作り、1559年に両親を喜ばせるために贈ったと言われる豫園は約2万平米に及ぶ中国を代表する庭園です。「豫」は愉の意味ですので文字通り豫園は「楽しい園」ということになります。園内には大小の楼閣が龍壁によって分けられております。龍壁とは、一匹の龍が波打つような姿そのままに彫刻されて屋根となっている屏のことです。

豫園の周囲は日本の浅草のような買い物客で賑わうところで、小龍包で有名な店をはじめ印鑑、七宝焼きなど、中国の伝統的な土産物が売られており、交渉次第では値打ちに買うことが出来るので地元の人たちに混じって観光客も多く見られました。


浅草のように賑わう豫園商場
(右側が上海一の小龍包の店)
豫園の庭園にある建物
(前の石は太湖石の名品)



黄浦江は汚染で知られている蘇州河と合流して長江に流れていきますが、その合流点の南西の方向、黄浦江の西側一帯は外灘(ワイタン、英名はバンド)と言われ、列強による租界時代の中心地として栄え当時の建築物も多く残っております。この外灘地区の東側の黄浦江沿いに散歩道が有り、ここからの黄浦江の左右の夜景が素晴らしいので、上海雑技団を観る前のひとときをこの散歩道に出向いて上海の夜景を楽しみました。

聞きしに優る素晴らしい夜景でした。特にライトアップされた外灘地区の建物はここから近いので眩しいばかりに輝いており、ここが電力不足で停電の絶えない上海かと疑いたくなるほどでした。かって屈辱に紛れた上海が如何に生まれ変わり、大きく発展しているかをPRする意図が感じられるようでした。7時半開演の上海雑技団を観るために近くのリッツカールトンホテルに急ぎました。



黄浦江西岸外灘地区の夜景
(近いので眩しいばかり)
浦東地区オフィス街の夜景
(東方明珠塔、グランドハイアット)



雑技、つまりサーカスのことですからテント小屋の中で行われると思っていたら、何と「上海商城」というゴージャスな建物にある「上海商城劇院」が上海雑技団の演技場でした。五つ星ホテルのリッツカールトンやブランドショップもこの上海商城に同居していたのにまず驚きました。演技時間は90分で、皿回し、自転車乗りアクロバット等いろいろ有りましたがハイライトは終演前に15分間の球体ゲージの中で行われるバイクショーです。

最初、1台のバイクがゲージの中に入って猛スピードで上下。左右に疾走します。凄いなとおもっていると2台目が入って上下左右に交差します。ところが、更に3台目がタイミングよく入ってうまく交差しながら疾走します。そして、何と4台目が入って目まぐるしく交差しながら疾走して終了しました。 雑技団員にはオリンピックの体操選手もおり、4、5歳の頃から選ばれた人たちが猛訓練して雑技団員になると、国から家など数々の特典が与えられるので市民の憧れの存在だそうです。こうして、この旅行の予定を全て終了して宿泊先のホテルに戻りました。



外灘の上海大廈(百貨店)の夜景
(たもとの橋は外白渡橋)
上海雑技団の演技風景
(大きな映画館程度の広さ)


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