スペイン旅行記

1章 スペインの地理と歴史(1)
スペインはイベリア半島の8割を占め、日本の1.3倍の国土に1/3の人口を有し国土の8割が山岳地帯で、北部を北大西洋、西部を隣国のポルトガル、南部を地中海を隔ててアフリカ、東部を険しいピレネー山脈を隔ててフランスに接している関係で気候、風土、文化が大きく5つの地方に分けられております。
今回はそのうちマドリード周辺のカステイージャ、イスラム教の影響を色濃く残す南部のアンダルシーアそしてバルセロナを中心とする東部のカタルーニャとスペインの主要な3つの地方をバスで駈け巡って来ました。 日本と緯度がほぼ同じで、地中海性気候にも恵まれて気候温暖なのスペインは、紀元前から周囲の民族から虎視眈々として狙われ、領地争いが絶えませんでした。

寒いヨーロッパのキリスト教民族は暖かさを求めてピレネー越えで、また暑い地域のイスラム系民族は、涼しさを求めてアフリカから地中海越えで、それぞれ攻め込んで行く歴史が繰り返されたため、スペインにはキリスト、イスラムそしてユダヤの文化が混在することになります。
紀元前は、ケルト、フェニキア、ギリシャに順次支配された後、漸く紀元前2世紀頃から約700年間、ローマ帝国の植民地として統一されたものの、507年にゲルマン民族の西ゴート族がピレネー山脈を越えて、ローマ人が築いたトレドを首都にして支配したのもつかの間、711年にはイスラム教徒のベルベル族がアフリカからジブラルタル海峡を渡って攻め入り、


先住していたゲルマン民族を破って初めてイベリア半島にイスラム教徒による帝国をコルドバを首都にして築いたのです。

当時のコルドバは人口60万を擁し、世界最大の都市として栄えましたが、一方でこうしたイスラム教勢力を異教徒としてイベリア半島から駆逐しようとする国土回復戦争(レコンキスタ)が北部に逃げ延びていた西ゴート族を中心とするキリスト教勢力によって行われ、1230年に現在のスペインの母体となったカステイージャ王国が建国される過程でアンダルシーア地方のイスラム教勢力は衰退し、首都コルドバが1236年、セビリアが1248年にキリスト教勢力に奪回され、残るイスラム教勢力の拠点はグラナダだけになりました。

その後、イベリア半島は、カステイージャ王国から独立したポルトガル、現在のイタリーまで勢力を延ばしていたアラゴン王国、そしてカステイージャ王国のキリスト教3王国に3分割され、グラナダだけがイスラム教勢力の唯一の拠点として最後の狂い咲きをしていましたが、それも1492年に、アルハンブラ宮殿の無血明け渡しによって陥落し、これをもってイスラム教勢力は半島から一掃されレコンキスタは終了しました。

カステイージャ王国エンリケ4世の異母妹イサベルが、ポルトガル王と結婚するとの兄との約束を破り、年下で美男子のアラゴン王子フェルナンドと恋に落ち、勝手に1469年に結婚することでスペインの歴史は大きく変わることになるのです。

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