スペイン旅行記

1章 スペインの地理と歴史(2)
つまり、夫婦がそれぞれ王位を継承したため、カステイージャ、アラゴンの両王国が夫婦共有になった結果、1479年に両王国が合併して強大なスペイン帝国が誕生し、世界を制覇することになるのです。
スペインは、この恋多きイサベルと、後のカルロス4世王妃の不倫によって大きく変わることになるのです。 このイサベル女王は、憧れの日本に西回りで渡航を計画し、そのパトロンをヨーロッパ各国に依頼して断られて困っていたコロンブスを助け、そのパトロンになったことで更に歴史を大きく変えたのです。 コロンブスは日本には行けなかったものの、アメリカ大陸を発見し、これに乗じてスペインは、メキシコのアステカ帝国やペルーのインカ帝国、更に南米やキューバ、フィリッピンを征服し、莫大な金、銀、奴隷を手に入れることで、アフリカのオアシス程度にしか見られていなかったスペインを一等国に引き上げたからです。

イサベル女王の孫は、幸運にも母方からスペイン帝国、父方から神聖ローマ帝国(現在のオランダ、オーストリア)の両方を遺産相続し、スペインではカルロス一世、神聖ローマ帝国ではカルロス五世として一人二役で多忙を極め身が持たなかったため、スペインとオランダを長男のフェリペ二世、オーストリアを弟のフェルナンドに与え、早々と56才で隠居してしまいましたが、この頃がスペイン帝国の絶頂期で、 日本から2年もかけてキリシタン大名の子弟達が天正少年使節団としてスペインに渡りフェリペ二世に謁見したのもこの頃でした。


フェリペ2世が日本に大きな関心を持って少年達を厚遇したとの記録がスペインに残っておりますが、その後4年もかけて日本に帰った彼等はキリシタンとして冷遇されたためか、日本には記録は殆ど残っておりません。
どちらかと言えばいい加減な国民性を持つスペインは、没落も早く1588年にスペインの誇る無敵艦隊が、ネルソン提督率いるイギリス艦隊に破れてからまたたくまに没落しましたが、反面、セルバンテスはそのだらしなさを、自著の「ドン・キ・ホーテ」で、宮廷画家のベラスケスやゴヤ達が「カルロス四世家族」、「5月2日」等で皮肉ることで逆に、スペインに文学、芸術の絶頂期をもたらしたことは誠に皮肉なことです。

フェリペ二世の孫のフェリペ四世が、子供に恵まれないまま35才で他界したため世継ぎ騒動が起こり、フランスのブルボン王朝ルイ一四世の孫を、フランスと組んでスペイン王を継承させようとしたものの、これに反対するイギリス、オランダ、オーストリア連合軍と戦って破れた結果、この孫をフェリペ五世としてスペイン王位を継承させる代償として、スペイン国内のジブラルタルをイギリスに割譲してからは、スペインに代わってイギリスが世界を制覇することになりました。 アフリカにわずか15キロのジブラルタルは今でも英国海軍基地のあるスペインの中の英国の街です。
自国の中に他国の軍事基地が有るというのは、沖縄と同じで屈辱的と思われるのですが、つい最近のスペインの世論調査では意外にも、現状肯定派が圧倒的に多いとのことでした。

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