スペイン旅行記

1章 スペインの地理と歴史(3)
スペインに、この重要戦略拠点を維持出来る程の経済力が無いことが最大の理由ですが、この基地の街で英国製品のショッピングが簡単に出来ることにスペイン人が魅力を感じていることも理由のようです。

ところが、このフェリペ五世の子孫のカルロス四世の王妃が臣下のゴドイと不倫した揚げ句、この男を宰相にしたのが悲劇の始まりで、後にこのゴドイはナポレオンにそそのかされて自国スペインと隣国ポルトガルをナポレオンに占領されるきっかけを作ってしまったのです。

このツアーで、マドリードのプラドー博物館を見学した際、ゴヤがカルロス4世が自分の主人であるにも拘わらず、有名な「カルロス四世家族」で、夫のカルロス四世と王妃との間に居る女の子を、片隅に居るゴドイとそっくりに描いて不倫の事実を冷徹な目で後世に伝えているのに驚かされました。


ナポレオンは自分の実兄を、お家騒動に乗じてスペイン王にするものの、イギリスと結託したスペインのゲリラに手を焼いて失脚し、やがてカルロス四世の皇太子フェルナンド七世が1814年に即位して反動的な政策が行われ、混迷の時代が始まることになります。

この間に、海外の植民地は続々独立し、最後に残ったフィリッピンやプエルト・リコもアメリカの援助で独立し、スペインの国力は益々低下してしまったのです。
その後、リベラ将軍の軍事独裁、共和制、国王のフランスへの亡命を経て1936年に人民政府が発足しますが、フランコ将軍の反乱によって倒れ、スペイン市民戦争と呼ばれる内乱を経てフランコ独裁時代が続き、彼は、亡命した国王アルフォンソ一三世の孫を後継者兼国王に指名して死去したのです。

国王の復活とともに、1977年に総選挙が実施され、民主主義体制に移行し現在に至っております。

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