ロシア人力士に思うこと(3)
ロシア人力士に思うこと(4)

若の鵬が所持していたことで罪に問われた乾燥大麻の同類品

露鵬や白露山が、大麻吸引の事実を認めたとしても、社会的に責任を問われることは有っても、法律的に罪を問われることはありません。その理由は、人によってはザル法、終戦後米国に押し付けられた悪法とも批判されている日本の大麻取締法では、大麻を栽培、輸出入、売買、所持すること等は罪を問われますが、使用罪、つまり大麻を吸引することは罪として問われなからです。。

従って、彼等の自宅から大麻が見付かったら逮捕されますが、吸引したことを自供してもその使用に関して前出の罪状が無い限り逮捕することはできません。もし、彼等が仮に米国で知人に誘われてその場で知人のを拝借して吸引したとして吸引の事実を認めて謝罪、反省すれば、日本相撲協会から解雇されることは無かったかも知れません。

ましてや、彼等の故国は大麻の産地で、大麻を吸引することで社会的に制裁を受ける風習は無いと言われておりますので、つい軽い気持ちで吸引してしまったと言えば、世間の同情・理解もある程度は得られたかもしれません。そのように考えると、大麻を所持していたことが発覚して逮捕された若の鵬と同一の扱いはやや不公平ではないかと思います。

例えば、大麻取締法違反で逮捕された槇原敬之(1999)さん、長渕剛さん(1995)、美川憲一さん(1984)、井上陽水さん(1977)等、数多くの一流芸能人も、処分保留のまま起訴猶予処分となり、その後も芸能活動を続けられ立派に社会復帰されております。そのことを思えば、この北オセチア人3力士が、大麻取締法違反やドーピング違反で、志を立てて日本に来て苦労した揚げ句に漸く得た仕事を奪われることに、私としては何か割り切れないものを感じざるを得ません。

思うに、彼等が弁護士をたてて、殊更に声を荒げて身の潔白を主張し、日本相撲協会を眼の敵にして争う姿勢を取ったことが逆効果を生んだように思えてならないのです。謙虚に罪を認めて、ファンと日本相撲協会に詫び、例えば髷を剃り落として結えるようになるまで謹慎するぐらいの姿勢を示せば、協会側も1年程度の休場処分で済ませかも知れません。どうせ、解雇されるならイチかバチかでこのぐらいの行動を取ってもよかったのではないでしょうか。私が弁護士だったらそのように進言しますが、如何がなものでしょうか。
23日には、この大麻取締法に触れてみたいと思います。

住宅の庭の片隅に自生した大麻草
(オルタードディメンション研究会より転載させて頂きました)

かあさんは夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがした

かあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい

この歌は、久保田俊夫さん(73:ペンネーム=窪田聡)が1958年(昭和33年)に発表した日本の童謡歌で、うたごえ活動を通して全国に広まり、ダークダックスやペギー葉山さん等によって取り上げられたことからより広い層に知られるようになって現在に至っております。

2007年(平成19年)に文化庁と日本PTA全国協議会が選定した日本の歌百選に選ばれており、殆どの日本人が一度は聞いたり、口ずさんだりしたことが有る歌と思います。殆どの童謡歌が昭和初期から明治時代にかけて作られている中で、この歌のように戦後も20年近くなってから作られたのは大変珍しいと思われます。

久保田さんがこの歌を発表した1958年は、現在でも東大合格率日本一の名門校、開成高校を卒業したものの、文学や音楽の道を選んで家出して埼玉県などで歌声運動をしていた頃と思われます。家出した彼を心配した母親から送られた小包の中に手編みのセーターが入っておりました。戦争中に疎開していた雪国の信州の情景を思い出し、母への思いが重なってこの歌が作られたものと思われます。

前置きが長くなりましたが、この歌をここで取り上げたのは2番の歌詞の中で白文字で示した「麻糸」と言う言葉にあります。彼が疎開していた長野県に限らず、大麻草は日本では、縄文時代から戦後の1950年代まで栽培され、その茎皮の繊維から作られる麻糸を使って衣類、手袋、、南京袋、下駄の鼻緒、畳の縦糸、魚網、神社の締縄や鈴縄、弓矢の弦、鼓の紐、タコ糸、結納の水引等の生活必需品が作られており、資源の少ない日本にとっては大切な資源でした。特に、明治時代から戦後にかけて政府が大麻草の栽培を奨励し、戦前は喘息の特効薬として薬局で販売されておりました。

このように、大麻草は古くから、日本の文化、日本人の生活に深い関わりも持っており、太陽の光と水さえ有れば肥料や農薬を使わずに約100日で3mにも成長して、衣料、紙、建築材料、更には食料油、医薬品、ディーゼルエンジンの燃料の原料になりますので小資源国、高エネルギー消費国の日本に相応しい重要な天然資源でした。

「・・でした」と過去形を使っているのは、終戦後間もなく、占領軍が日本での大麻草の栽培を禁止したことを受けて1950年に大麻取締法が制定されて、特定の許可無く栽培することが禁止されてしまったからです。当時、米国では戦時中から大麻草(マリファナ)吸引する兵士が増えてきたことを憂慮して、米軍は様々な形で規制をしておりました。

しかし、大麻草が自由に栽培されている日本ではこの規制が及ばず、進駐軍兵士の間で吸引が広がることを恐れたGHQは日本政府に大麻草の自由栽培禁止を命令したのでした。縄文以来、日本では大麻草の吸引する習慣が無かっただけに、日本政府にとっては、つい数年前までは政府自ら栽培を奨励していたものを逆に禁止することになるのですから、まさに晴天の霹靂の命令だったことと思います。

大麻取締法は、大麻草の葉及び花冠にテトラヒドロカンナビノール(THC)という成分が含まれており、これが麻酔作用を引き起こして人間の健康に害を与えるとの考え方に基づいており、他の多くの国々も大麻草の栽培、所持、売買等に何らかの形で規制を加えておりますので、例え、占領軍からの命令が無くても、大麻草を規制する法令は施行されていると思います。

ただ、前述のように大麻草はエコ時代に合った天然資源との見方が最近強まり、大麻取締法の改正を望む声が大きくなりつつあります。
これまで、大麻草を「ロシア人力士に思うこと」のシリーズとして取り上げてきましたが、今後は、エコ時代を迎えての大麻草への期待感と大麻取締法の在り方に注目して「大麻草に思うこと」とタイトルを変えて取り上げていきたいと思います。

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