台湾旅行を終えて思うこと(5)
台湾旅行を終えて思うこと(6)


烏山頭ダム(珊瑚潭)堰堤にある八田與一氏の銅像
(烏山頭水庫より引用させて頂きました)

上の画像は、台湾の台南県官田郷の烏山頭ダム堰堤にある、八田與一氏の慰霊碑の銅像と八田夫妻のお墓で、いずれも戦前に台湾の人たちによって建立されたもので、日本からの訪問者のみならず、台湾の人たちによる供花があとを絶たないと言われております。

このお墓は台湾では見られない日本式で、墓石も台湾産大理石でなく日本から取り寄せた御影石で、戦後になって蒋介石による日本が残した建築物や顕彰碑等の破壊命令が下された折、地元の有志によって隠され、昭和56年(1981年)に再び設置されるようになったこと、更に彼の命日には慰霊祭が行なわれ、李登輝、陳水扁、馬英九等の歴代の総統も参加されていることから、如何に彼が台湾の人たちから尊敬され、慕われているかを知ることができます。

八田氏の業績は、台湾の中学生向け教科書『認識台湾 歴史篇』に詳しく紹介され、更に平成14年(2002年)11月に訪日して慶応大で予定していた李登輝元台湾総統の講演草稿「日本精神」でも、その業績を高く評価する熱い思いが格調高い日本語で語られていたことから、改めて日本でも八田氏の業績が見直されるようになりました。この時の訪日は、日本政府が中国に配慮してビザ発給を停止したため中止されましたが、平成16年(2004年)に、2001年に次いで2回目の訪日を果たした折りには、八田氏の故郷を表敬訪問しております。

八田氏は、台湾での偉業を成し遂げて嘉南平原の隅々にまで潅漑用水が行きわたるのを見とどけてから家族とともに帰国しましたが1942年に陸軍に徴用されてフィリピンに向かう途中、米潜水艦撃沈され戦死したものの事跡的にその遺体が山口県の漁船の網にかかり引き上げられたのでした。そして、夫との思い出深い烏山頭の地に疎開していた夫人は、夫が心血を注いで完成した烏山頭放水口に身を投げて夫の後を追い、そしてその願いが叶ったかのように、この異国の地で八田夫妻は共に眠っております。

この偉大な業績の影に隠れた波乱に満ちた八田夫妻の生涯は台湾の人たちのこころを打ち、 2004年に台湾のテレビ局「中華電視公司」で20時間ドラマ「水色嘉南」として製作が企画され八田夫人役に松田聖子さんが内定したとの情報が有りましたが、その後の経緯は判っておりません。どなたか、ご存知の方が居られましたらお知らせ頂ければ幸いです。

八田夫妻の遺児でご長男の晃夫氏も2006年5月、85歳で亡くなられ、お孫さんの修一氏は現在も名古屋で、祖父の與一氏と同じ建設関係の仕事をされているとのことです。八田與一は海外で偉大な功績を挙げた人物として、野口英世、杉原千畝とともに歴史に残って然るべきと思います。私の知る限り、八田與一の伝記は日本で発刊されていないように思われます。彼を知る方々が存命しているうちに是非とも発刊されることを願うものです。

今回の旅行では、彼の所縁の地、烏山頭ダムの見学はできませんでしたが、ガイドさんの話をきっかけに彼の存在を知ることが出来たのは幸運でした。こうして、彼のことを取り上げたのは、少しでも彼の存在を知って頂きたかったからです。彼の命日の5月8日の当日記で更に詳しく彼のことを取上げたいと思っております。今日は、彼が行なった灌漑事業を次のように簡単に説明して、とりあえず締めたいと思います。

下の画像は、嘉南平野を含む台湾中部の衛星画像です。台湾一の嘉南平野は今でこそ、稲作の水田で青っぽく見えますが、八田氏が東大工学部を卒業して台湾総督府の土木技師としてこの地を訪れた時は、洪水と干魃が繰り返される不毛の地でした。八田氏は現地を丹念に調査した結果、当初は嘉南平野に最も近い台湾第4の大河、曽文渓から導水することを立案しました。

google画像より

しかし、それでは嘉南平野南部しかカバーできないことに加え、予算が巨額にのなったことから廃案になりました。ところが、その後、台湾総督として着任した明石が嘉南平野の北を流れる台湾第1の大河、濁水渓から導水すれば、嘉南平野全体をカバーできるのではと考えて部下の八田氏に調査を命じました。

調査の結果、珊瑚潭の間の中小河川を利用して珊瑚潭に通ずる給水路網を形成し、珊瑚潭にダムを作って一大貯水池にすれば、嘉南平野全体をほぼカバーできる15万ヘクタールの土地を肥沃にすることができることが判り、当初案より更に巨額の予算になったにも関わらずその効果の大きいことが評価されて認可され、ここに「嘉南大?(かなんたいしゅう)」と呼ばれる破天荒の大プロジェクトが実施されました。

そして、八田氏はこのプロジェクトの中で最も重要な大工事の珊瑚潭に集水される水を堰き止めるための 烏山頭ダムの建設を指揮しております。ダムの完成によって、湿地帯だった珊瑚潭は、その名のように貯水が珊瑚のように四方八方に延びて、下の画像に占めすように、大きな貯水池になったのでした。

google画像より

嘉南大?によって巡らされた給排水路の距離は万里の長城の6倍以上の16,000kmに及び、李登輝氏の言葉を借りるなら「八田氏は台湾南部の嘉義から台南まで広がる嘉南平野にすばらしいダムと大小さまざまな給水路を造り、15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし100万人ほどの農家の暮らしを豊かにしたひとです。」

<参考にさせて頂いたサイト>
珊瑚潭に臨む
八田與一烏山頭水庫
八田與一(ウィキペディア)
烏山頭水庫
八田技師記念碑の除幕式


中部国際空港を飛び立ったJAL655便は3時間後に台北の桃園国際空港に着陸しました。ここから最寄の新幹線の駅、桃園駅までバスで移動しました。移動時間は15分程度でしたが車窓に広がる台北郊外の風景を眺めておりましたが、いずれの住宅にも共通に見られる奇妙な風景に気付きました。その風景が上の画像です。

それは、屋上にタンク、窓に鉄格子が据え付けられている風景でした。好奇心旺盛な私にはそれが疑問となり、その理由を考えておりました。その疑問を待ってましたとばかりに現地ガイドさんで、日本のお笑いタレントのワッキーにそっくりの、初さんが疑問に答えてくれました。たどたどしい日本語でしたので、正確にに理解できたとの自信は有りませんが凡そ次のように理解しました。

まず、屋上のタンクは水を貯蔵するタンクとのことでした。台湾には、日本と同様に梅雨も台風も有り、1年を通して水不足になることはないとのことですが、水道の水圧が不安定な上、断水することが多いので、自衛策として屋上に貯蔵タンクを設置し、水圧が安定な時にタンクに汲み上げておき、非常時にタンクの水を使うのだそうです。

台湾には3,000m以上の山々が100以上もある山脈が南北を貫いて海岸に迫っており、しかも山塊が大理石に代表されるような硬い岩盤で出来ているため、山脈に降った雨が取水する間もなく短い時間で海に流れてしまうことが断水が起こる理由だそうです。昨日取上げた日月潭や珊瑚潭などの湖やダムは電力、灌漑が目的で取水目的のダムや給水路の整備が不充分なのでしょうか。

我々が住む知多半島地域は戦前までは、水不足を補うため江戸時代から灌漑用池が至るところに作られておりますが、それでも水不足が解消しないため、戦後になって御岳の山麓の牧尾ダムから延々と愛知用水と呼ばれる給水路が整備されてから水不足に悩むことは無くなりました。もし、愛知用水が無かったら我々も、タンクを設置して自衛していたかもしれません。

次に、窓の鉄格子を付ける理由は単純で、盗難または押し込み強盗の防止対策とのことでした。台湾はそれほど治安が悪い国ではないのに敢えてそのようにする理由が今ひとつ判らないので、初さんに聞きまくったのですが説得ある答えは頂けませんでした。

下の画像をよくよく見ると、台湾の人たちが切実な理由が有って鉄格子を付けている事情が窺えます。2階の植木鉢が吊るされている窓の外側にも鉄格子が取り付けられているからです。これでは鉢の手入れが大変で、日当たりも悪くなり、外からの景観も芳しくありませんから、日本ではまず考えられないからです。


その理由を帰国後に夜も眠らずに考えて、考えてみた結果、ある結論に達しました。台湾では朝、昼は外食するのが普通で、夕食も外食にすることも多く、家を留守にすることが多いようです。従って、留守の間に泥棒に入られる恐れが多く門扉や玄関の施錠だけでは不充分で窓からの侵入に対処するためと推察しました。如何がなものでしょうか。


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